半導体記憶装置事件(平成18年(ネ)10039号)の概説

事件の概要

 本事件は、電気機械器具の製造販売会社が、半導体素子の輸出入及び販売をしている会社に対して、半導体記憶装置に係る特許権に基づく損害賠償請求と、侵害行為の差し止めを求めた事件であります。本事件では、特許発明が旧特許法36条5項2号違反により無効にされるか、特に、侵害訴訟で請求項の記載要件不備を判断する際に明細書の記載を考慮できるか、が問題となりました。※詳細は大合議事件についてで判決文をご参照下さい。

 ところで、特許請求の範囲の記載の意義を判断するに際して、現法の特許法70条1項には「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」と規定され、同2項には「前項の場合においては、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」と規定されています。これは、特許請求の範囲の記載は、「簡潔であること」を求められるため、その記載のみでは特許発明の技術的範囲の認定が困難な場合があるからです。

 但し、特許法70条では、特許発明と規定されているように、特許後の発明の技術的範囲に関して規定するものであります。そして、後述するリパーゼ事件で明らかな様に、審査時においては、特段の事情がなければ、明細書の記載を参酌できないとされています。では、特許後の発明の無効判断において、特許請求の範囲に記載された発明の意義を理解するために、明細書や図面の記載を参酌できるでしょうか?半導体記憶装置事件では、この点が争点となっています。

 なお、本事件では、平成6年改正前の旧特許法36条5項2号(現法の36条5項)に基づき、同2号が無効理由として審理されております。しかし、対応する現法の特許法36条5項については、現特許法123条1項4号において、無効理由から除外されており、単純に現法に置き換えることはできません。そのため、現法における考察を適宜挟みながら、特許法36条に基づく無効理由絞ってについて説明します。

[前提1]現特許法36条5項

 現特許法36条5項は、以下のように規定しています。 「第二項の特許請求の範囲には、請求項に区分して、各請求項ごとに特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない。この場合において、一の請求項に係る発明と他の請求項に係る発明とが同一である記載となることを妨げない。」

※ 改正前の旧特許法36条5項は、「第三項第四号の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し、同項2号は、「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項に区分してあること。」と規定しています。

 そして、現特許法123条1項4号では、「その特許が第三十六条第四項第一号又は第六項(第四号を除く。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたとき。」と規定されており、現特許法36条5項は無効理由になっておりません。これは、特許請求の範囲に発明を適切に記載できるようにする、という平成6年改正の趣旨に基づき、特許を受けようとする発明及びその発明を特定するために必要な事項を認定するのは、出願人自らの判断によるべきだからであります(青本の36条5項解説を参照)。

[前提2]リパーゼ事件(昭和62年(行ツ)3号)

 リパーゼ事件とは、発明の要旨を特許請求の範囲記載のとおり認定することで(明細書の記載を参酌せずに文言を解釈することで)進歩性なしとされた拒絶審決の取消が、争われた事件になります。具体的には、特許請求の範囲では単に「リパーゼ」と記載されていたものの、明細書の発明の詳細な記載には、「Raリパーゼ」の実施例のみが記載され、その使用を前提としていたことが問題とされました。つまり、明細書の記載からすると、特許請求の範囲の「リパーゼ」を、「Raリパーゼ」と解することもできた点が問題です。そして、「リパーゼ」と判断すると、引用発明に基づき進歩性がなかったため、明細書の記載を考慮して「Raリパーゼ」と判断できるか否かが争われました。

 この点、最高裁は、特許要件(新規性及び進歩性)について審理するに当っては、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならず、特許出願に係る発明の要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきであると認定しました。そして、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎないと判断しました。そして、特許請求の範囲の記載には、「リパーゼ」を限定する旨の記載はなく、特段の事情も認められないから、「Raリパーゼ」に限定されると解することはできない、と判断されました。

半導体記憶装置事件の要点

 知財高裁は、連続読み出しの場合において、所定アドレスを毎回入力する必要をなくすこと(以下、特許発明の課題)が、特許発明の課題であると認定しました。そして、特許発明の構成要件の1つである、「選択された行が切り換ると第1の所定の列から順次前記データレジスタの内容が外部に出力される第1のモード」という記載(以下、特許発明の構成)は、本件明細書に記載された、従来技術、発明が解決しようとする課題、発明の目的、作用及び効果を考慮すれば、ページアドレスが変化するたびに、毎回アドレスを入力する必要がなく、自動的に、第1の所定の列から順次データレジスタの内容が外部に出力されるモードと解されるとしました。

 そして、本件特許発明は、特許発明の構成をとることによって、特許発明の課題を実現できるという、1つのまとまった技術思想を表したものと把握することが可能であるから、「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項」のみが記載されているものであり、旧特許法36条5項2号に規定する要件を満たすものであると結論付けています。

 また、知財高裁は、特許請求の範囲の記載には、特許発明の課題に対応した、「連続読み出しの場合において所定アドレス毎回入力の必要性を除去する」という、具体的構成について、記載はないと認定しています。しかし、本件特許発明は、特許請求の範囲の各文言を基礎に、本件明細書の実施例に詳細に説明されており、当業者が実施できる程度に説明されている、と認定しました。そして、具体的な技術手段が特許請求の範囲に記載されていなくても、特許請求の範囲の記載に欠けるところはない、と結論付けています。

 なお、侵害品が特許発明の技術的範囲に属するかについては、被告製品は原告特許発明の技術的範囲に属すると、新規性の有無については、引例の構成は特許発明の構成要件と一致しないので新規性を有すると、認定されています。

私的解説

 現法を試験範囲としている弁理士試験において、本判決がそのまま問われることはないと思います。また、正確に本事件の判旨を理解することも難しいので、正直に言えば目をつぶりたい所ですが、そういうわけにもいきませんので個人的な見解を解説します。なお、以下の個人的見解は事例の範囲を超えたものであり、今後の判例や学説によって、弁理士試験上は誤りとなることもありますのでご留意ください。

 現特許法36条5項の前段について、審査基準では、「特許出願人が特許を受けようとする発明を特定する際に、まったく不要な事項を記載したり、逆に、必要な事項を記載しないことがないようにするために、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明を特定するための事項を過不足なく記載すべきことを示したものである。」と説明されています。さらに、「どのような発明について特許を受けようとするかは特許出願人が判断すべきことであるので、特許を受けようとする発明を特定するために必要と出願人自らが認める事項のすべてを記載することとされている。」と記載されています。

 そして、審査基準では、本規定が請求項の性格を明らかにしたものであるとし、各請求項の記載に基づいて特許発明の技術的範囲が定められるべきこと、各請求項の記載に基づいて認定した発明が審査の対象とされるべきこと等が明らかにされているとしています。

 これらの記載から、審査段階において、特許請求の範囲に記載した文言の意義について、記載された文言そのままの意義ではない旨を出願人が主張することは許されないと解されます。例えば、特許請求の範囲に記載された上位概念の記載が、明細書等の記載を参照すれば下位概念の意味となる旨を主張することは、原則として許されません。一方、特許発明の技術的範囲を定める場合においては、明細書及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈することができます(特許法70条2項)。

 リパーゼ事件では、特許出願に係る発明の要旨認定は、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきであると判示されています。そして、半導体記憶装置事件では、現特許法36条5項の記載要件を判断するに際して、明細書等の記載を参酌することが許されると判示されました。しかし、現法では同項が無効又は拒絶理由となっていないので、これがそのまま問題となることはありません。この点、現法で問題になるとすると、例えば特許法36条6項2号(特許を受けようとする発明が明確であること。)の要件不備を理由とする拒絶又は無効理由が問題となることが考えられます。例えば、特許請求の範囲の記載からは発明が明確ではないが、明細書の記載を参酌すれば明確である場合です。

 私は、半導体記憶装置事件においては、特許発明だから明細書等の記載を参酌できると判断していると考えます。つまり、特許発明については、明細書等の記載を参酌して特許請求の範囲に記載された発明の意義を判断できるが、リパーゼ事件の様に特許出願に係る発明は(つまり、審査においては)、特段の事情のない限り明細書等の記載を参酌できないと思います。この場合、特許発明であれば(つまり、無効理由を争う場合には)明細書等の記載を参酌できるが、そうでなければ原則として参酌できないことになります。このような判断であれば、特許法70条2項に規定にも沿うことになるのではないでしょうか。

 なお、特許発明について、特許を受けようとする発明が特許請求の範囲の記載からは不明確であるにも関らず、明細書等の記載を参酌して明確であると認定するのは、無効理由を法定している意味が無くなるとの反論が考えられます。しかし、明細書等を参酌しても不明確である場合に無効となる点に変わりは無く、法定している意味が無くなることはないと思います。また、同じ特許請求の範囲の記載について、審査段階であれば拒絶されるにも関らず、特許発明の場合は無効とならないのは妥当ではないとの反論も考えられます。しかし、特許後においては、既に発生した特許権を消滅させることが法的安定性を害することも考慮すべきであります。従って、特許発明か否かで結論が異なったとしても、直ちに不当であるとはいえないと思います。なお、明細書等記載が参酌される結果としては、特許発明の技術的範囲が狭く解釈されるのが通常であり、特許発明の技術的範囲が狭まる限りは、第三者が不当な不利益を被ることはないものと思われます。

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